自宅。 ディミトリは考えた末、監視のやり方を変えることにした。監視と言っても、常時張り付いている必要は無い。 詐欺で受け取った金がどうなっているのか知りたいだけだ。 その為にも彼らの日常行動を知る必要がある。 だが、警察と思わしき車両がいる以上は迂闊な行動は控えた方が良いと考えた。 流石のディミトリも、警察の目の前で悪さは出来ないものだ。 何しろ相手は隙だらけの連中だ。いつでも大丈夫だとは思ってはいるが、慎重にやろうと考えているのだ。 自分が見張られているので、監視カメラの回収が困難な事をどうにかしないといけない。(盗聴器を仕掛けるか……) そこで盗聴器を深夜に設置することにした。 携帯を改造したやつなので、一時間毎にデータ送信で回収すれば良いからだ。 必要な機能以外は、全て停止しているので一週間程度は持つはずだ。 深夜、自宅の裏からコッソリと抜け出した。警官の巡回に出くわさないように、慎重に自転車でアジトの裏まで来た。 濃い灰色のスウェット上下なので怪しまれないだろうと考えていた。 いざと成ったらトレーニングの為に公園に向かうのだと言い訳するつもりだった。 何しろ童顔の十四歳なので通じるだろう。(さてと……) 周囲を見回して監視されていないのを確認してから徐に壁に取り付いた。 取り付いた壁の雨樋を伝って登っていく。 目標は三階のベランダ。二分もあれば登りきれる。 ディミトリは手慣れた調子で登っていく。自己の技術と体力で岩を登るフリークライミングは兵士には必要な技術だ。 訓練を行っていないタダヤスの身体で大丈夫なのか、懸念はあったが大丈夫なようだ。(よしよし…… 優秀な兵隊に成れるぞ……) そんな事を考えながら目的のベランダに取り付いた。 ディミトリは直ぐにベランダに入ることはせずに部屋の中の様子を窺う。 人が移動する気配が無い事を見届けると手早くベランダ内に侵入した。(寝てるのかな?) ディミトリは盗聴器を取り出し取り付けの準備を始めた。 マイクは透明なチューブで先端に付けてある。太さが一ミリ程度なのでパッと見は何の部品なのか不明なはずだ。 それをクーラーの室外機から伸びるパイプ配管の穴の中に挿入させた。 こうすれば、室内の音が直接拾えるし、盗聴器の存在に気が付かないはずだ。(よしっ、完了した……)
(ひょっとしたら偶然だったのか?) 偶々同じ車種が居ただけなのかもしれない。或いは二十四時間監視の対象に成っていないのかもしれない。(いや、二回同じ車両を見かけたのは偶然ではない……) ディミトリは慎重な方だ。慎重だったから幾多の戦場を生き残って来たと言える。 臆病なのと慎重なのは違う。失敗から原因を推測して、次の行動のための糧にするのだ。 それが出来ないやつは全て死んでしまった。(俺はまだ死ぬ予定じゃないからな……) 盗聴器を仕掛け終わったディミトリは、次の懸案事項に対する方策を考え始めた。 誰に見張られているのかを確認しなければならないからだ。 その為には問題の車が警察なのかを確認しなければならない。 朝になって普段どおりのランニングに出かけた。そして、以前に黒い不審車を見かけた地点に差し掛かると、前に見たのと同じ場所に停車しているのが見えた。(夜はお休みなのか……) 昨夜、見かけなかったので夜中は監視してないらしいとは思った。 もっとも、見つかっていたら彼らも判断に悩んだに違いない。(ではでは、ちょっと誰なのか調べさせてもらいますよー) 後ろからそっと近づき、後輪タイヤハウスの裏側に携帯電話を貼り付けた。ここが見つかりづらいのは経験済みだ。 ディミトリは警察関係の車であろうと目星を付けていた。 警察署は二キロほど走ったところにある。あそことの往復であれば、後日回収できるだろうと考えていた。(若い男と中年の男…… きっと同じふたり組だな……) 以前にアジトの近辺で見かけたのと同じ二人組だ。ディミトリのランニングコースを見ている。 あの時は遠目で見るしか無かったが今度はしっかりと顔を覚えた。 その後、ディミトリはいつの通りの道筋でランニングを終え帰宅した。帰りにも問題の車は見かけた。 もちろん、気が付かない振りをするのは怠らなかった。こっちの手の内を見せてやる必要はないからだ。 帰宅してから二階の窓から双眼鏡で周りを見ると、二ブロック先の交差点に問題の車は停車していた。 そして、ディミトリが帰宅後三十分ぐらいで車を発進させていた。帰るのであろう。「よしよし、車に携帯が仕掛けられたのは気が付いていないな……」 パソコンに映る携帯の位置情報はディミトリの期待通りの結果を表していた。 携帯が発する電波はディミト
翌日に信号が消えた場所に行ってみた。ディミトリの想像した通りにスマートフォンはバラバラになっていた。(向かっているのは東京都内か……) 高速道路に上がる手前に部品はあった。想像した通りにタイヤハウスから落下してしまったようだ。 粘着力が足りなかったようだ。直ぐに外す事を考えていたので控えめにしたのが仇となった。(警察の可能性もあるし、在外諜報機関の可能性もある)(結局、わからないままか……) 釈然としないままディミトリは自宅に戻った。 不審車にいつまでも掛り切りになっている場合では無いからだ。 部屋に戻った彼は詐欺グループのアジトの監視カメラをチェックし始めた。 盗聴器を仕掛けた時に回収しておいたのだ。 不審車の事があったので、毎日の交換作業はやらないほうが良いだろうと考えたのだ。(……)(俺がタダヤスでは無くディミトリに成り代わっているのを、知っている人物が居るという事だよな……)(……) そんな事を考えながら漠然と監視カメラをチェックしていた時に有るものを見つけた。 交通事故の様子が録画されていたのだ。「ああ、こういう事もあるのか……」 運転していたのは女性。見た感じは若そうだ。 女性は事故に気が付き一度車を降りてきたが、被害者の様子を一瞥すると去っていった。「轢き逃げじゃねぇか……」 これはディミトリの監視カメラに偶然撮られていた轢き逃げ動画だったのだ。「フフッ…… 悪い奴だ……」 普通なら慌てて警察に通報するのだろうが、そうすると監視カメラのことを説明しなければならない。 それはそれで面倒だ。第一、ディミトリは警察が嫌いだった。 少年だった頃も大人になってからも疎んじられて来たからだ。 きっと、警察に嫌われるフェロモンでも出しているのだと考えている。 車が去った後も動画は続いていた。男は倒れたままの姿がずっと写されている。 轢かれた男はピクリとも動かない。恐らくは駄目だろう。「フッ…… こっちは運の悪い奴だ……」 ディミトリは無感情のまま画面を見ながら呟いた。 これまでも、巡り合わせが悪くて死ぬやつは散々見てきた。 シリアの市街地で戦闘になった時のことだ。十メートル程度の近距離でお互いに撃ち合った。 その銃撃音に驚いて飛び出してきた住人が、敵兵に薙ぎ払われるのを良く見た。 ああいった地域で
動画は時間切れで終わっていた。容量がいっぱいになったようだ。 元々、日中の監視をしたいだけだったので、十二時間程度しか想定してなかったのだ。「とにかく、面倒事はまっぴらゴメンだな……」 彼は黙殺することに決めたようだ。 ディミトリは自分に関わりの無い事には興味が無い。 ハッキリ言って他人がどうなろうと知ったことではないのだ。 犯罪を見たら通報するのが正義だとされている。関わりを持たないのも正義だ。 正義の有り様は人それぞれだ。 それを強制される筋合いは無いものだとディミトリは考えている。(力の無い奴に限って安全な所に居て吠えてやがる……) ここ何ヶ月か日本に居て思ったことだ。 何処の国へ行こうと支配する側と支配される側の二面性を思い知らされるのだ。 地位を持たないもの、声が小さいものは搾取される側なのだ。 かつての自分も同じように搾取される側の人間だった。 だが、兵隊となって運命は自分でコントロール出来ると理解できるようになった。 その代償に良心を削り取ることになったのだ。 運に恵まれない奴らを見ながら自分はこう考える。『・・・ オレモオナジダッタ ・・・』 今はどうか? 傭兵になった時に、大人になったと錯覚することが出来ていた。自分の運命は自分の引き金で切り開く決断ができるからだ。 信頼出来る仲間に囲まれて、上官の愚痴を言いながら惰眠を貪り、良い女を口説く為に酒場に日参する。 そんな毎日でも気に入っていた。 だが、気がつけば東洋の見知らぬ国で、誰とも分からない小僧の身体に押し込まれている。 自分のケツが拭ける程度にはデカくなっているが、女ひとり口説くのにすら難儀している体たらくだ。(また、やり直しかよ……) ディミトリは自分の両手をジッと見つめていた。恐らくは人を殺めたことの無いまっさらな手だ。 タダヤスもディミトリに身体を乗っ取られなければ、普通の人生を歩んでいただろう。 ひょっとしたら違う人生を歩めるかもしれないと一瞬考えたのだ。(俺の場合は、相手も同じ兵隊だったけどな……) 『お互い様だろ?』そう自分を誤魔化しながら任務を遂行していた。何十人も手にかけてきたのを覚えている。(誰かのために働く人生がベストなのか?)(目的も無く漠然と時間が過ぎていくのを眺めるだけの毎日……)(たかが小銭を稼ぐた
自宅。 ディミトリも普段は平凡な中学生『ワカモリタダヤス』を演じなければならない。 平日の昼間は学校に行かなければならないのだ。(また、クソッたれな場所に通う事になるとは思わなかったぜ……) 退屈極まる時間をジッとしているのは苦痛だった。 知識が無いので授業の内容が理解出来ないからだ。 彼は教室では口をきかなかった。この国の中学生の常識が皆無なので話がつまらない。 それと面倒臭い事になるのを避ける為だ。 事故の事は予め全員に知らせているようなので、クラスメートもディミトリには積極的に話しかけては来なかった。 後遺症があるという事にしてあるが、時々はサボって保健室で寝てたりした。 そうすると先生たちに依怙贔屓されていると勘違いするのも当然のように居るものだ。 トイレに行って用をたし、教室に戻ろうとすると同じクラスの大串が立ちはだかっていた。 何故か目玉をギョロギョロ動かしてる。 大串の子分たち二人も来ていて、トイレの出入り口を塞いでいた。(何かを探しているのだろうか……) ディミトリは無視して通り過ぎようとすると再び立ちはだかった。 やっぱり、目玉をギョロギョロと下から上へと動かしている。 いつだったか、病院抜け出した時に絡まれた金髪にも、似たような事していたのを思い出した。(ああ、威嚇してるつもりなのか……) ディミトリが育った街では威嚇などしないで拳で語ることが多かった。次がナイフだ。最後は拳銃で撃ち合った。 ところがこの国では違うらしい。目玉をギョロギョロ動かすのが相手への威嚇になるらしい。 中々、滑稽な風習なのだなと思った。「何の用だ?」「あっ?」 面倒くさいが一応話は聞いてあげようかと声をかけてみた。 やっぱり、目玉をギョロギョロ動かしている。「何の用だと聞いている……」「誰に向かって聞いてるんだっ! あっ!」 まるで話が噛み合わない。頭の悪そうな相手にディミトリは目眩がしてきた。 それと同時に時間を無駄に使わされるに腹が立ってきはじめた。「調子こいてるんじゃねぇーよっ!」 まだ、目玉をギョロギョロ動かしている。 ディミトリは吹き出しそうになるのを堪えていた。「おめぇの目つきが気に入らないんだよっ!」 ディミトリがニヤついたのをバカにされたと勘違いした大串が大声を出しはじめた。 そのまま
何も反応が無い。顔を掴んだまま頭を床に叩きつけた。「分かったな?」 再びゴンッと鈍い音と共に大串の目に涙がたまり始めた。指が少し深く入ったのでろう。「……」 大串が頷くような動作をしている。もっとも、頭をディミトリが抑えているのでうまく出来ない。「むぅ…… むぅ……」 そこまで言うと手を離してやった。 大串の目から涙が溢れ出ている。どうやら目玉は無事らしい。「……」 立ち上がったディミトリは子分たちの方を睨みつけた。 いきなりの逆転劇に大串の子分たちは立ちすくんでいた。 相手の予想外の強さに驚き、どうしたらいいのか戸惑っているのだ。「ん? 次はお前か??」 子分たちは首を盛んに振って道を譲った。 ディミトリが大串に構ってる時に、襲うという発想が彼らに無かったのは幸いだった。 一度に三人相手に喧嘩は出来ない。手加減する暇が無くて相手を殺してしまう可能性があったのだ。(これで終われば楽だがな……) ディミトリはため息を付きながら教室に戻っていった。 彼らが素直に諦めるとは思えない。弱いやつ程キャンキャン吠えるのを知っているからだ。 自宅に帰ってきたディミトリは、詐欺グループのアジトに仕掛けてきた盗聴器を聞いていた。(思っていた以上に鮮明に聞こえるな……) リビングに面した部屋以外の音も拾えるのは意外であった。音がくぐもって大して聞こえないと考えていたからだ。 もっとも、それらはロシア製や中国製の怪しげな盗聴器だったせいもある。(実は日本の民生品ってのは凄いんじゃねぇのか?) そんな事を考えながら聞こえてくる音に集中していた。 床を歩く音や玄関の開閉の音も聞こえていたので人数を数えるのが楽になりそうだった。 何日か観察した結果で彼らの行動パターンのような物が判明してきた。 午前中は詐欺の鴨を見つけるための電話セールス攻勢。午後は金を引っ張るための外出がパターンのようだ。 肝心の金は事務所に戻ってきてから分けているようだ。どういった割合で分けているかは不明だ。 そして金は各々自分で管理しているらしい。時々個人で外出しているので、その時に銀行に預けているのだろう。 時々、街中に繰り出して酒を浴びるように飲むらしい。(酒を飲むと言ってもたかがしれている……) 正体不明の不審車の事も有り、金を手に入れておくのは早
襲撃の当日。 真夜中に目を覚ましたディミトリは二階の窓から双眼鏡で外を眺めた。例の不審車が居るかどうかを確かめるためだ。 二ブロック先の交差点を見てみたが問題の車は居なかった。(やはり、夜中は見張っていないのか……) もっとも、他の場所に変更した可能性もあるが、それは低いだろうと考えていた。(本格的に見張るのなら複数台で交代するはずだからな……) 見張りだけで何も接触してこないのも不思議ではある。彼らの意図が良く分からない。 だが、分からない事で悩んでいてもしょうがない。今は目の前にある問題に取り掛かることに決めた。 それでも念の為に家の裏側から、他人の敷地を通って抜け出した。自転車は予め公園に駐めておいたのだ。(五時頃までには戻りたいな……) 昼間は普通の中学生を演じているので、突発的な休みはしないようにしている。(良い子を演じるのも大変だぜ……) そんな自虐めいた事を考えながら、詐欺グループのマンションに着いた。 夜中であることもあり、誰とも擦れ違う事はなかった。 マンションの入口付近には防犯カメラがあるのは知っている。 なので非常階段側に回り込み、外についている雨樋を足がかりにして乗り込んだ。 何も正面から行く必要は無い。これから行うことを考えると、防犯カメラに映り込むのは避けたい所だ。 そして、静かな階段を上り外廊下を走り抜ける。いつもながらドキドキする瞬間だ。(このドキドキ感がたまらないよな……) 訳の分からない感想を考えながら目的の部屋の前に来た。 マンションのドアに取り付き、ドアスコープを覗き込んだ。人の移動する気配は無い。 ドアスコープは中から外が見えるように作られている。だから、中が見えるわけでは無いが動く影ぐらいは見えるのだ。 ドアスコープをペンチで外して、その穴から内視鏡を差し込んだ。胃の検査とかに使う器具。 内視鏡でドアに付いている鍵のノッチを回せば、鍵が無くとも家の中に侵入できてしまう。 これは空き巣が良くやる手口だ。ドアスコープが何の脈絡も無く取れていたら要注意。(よし、ひとまずは成功だ……) ディミトリはいとも簡単にアジトに忍び込むことに成功した。賃貸物件サイトの案内では2LDKのはずだ。 マンションに入った瞬間に想ったのは『酒臭え』だ。マンションの中には男たちのイビキが響いて
ディミトリは厚手のマスクを口元にして、携帯の音声加工アプリを使い始めた。 今のディミトリの声は中学生の坊やの声なので凄みが無いためだ。『金は何処だ?』 音声加工アプリから流れ出す器械的な声が部屋に響く。 質問はシンプルな方が良い。彼らに余計なことを考えさせる暇を無くす為だ。「金なんかねぇよっ!」 リーダーらしき男が答えた。ディミトリは最初から彼らが白状するとは思ってもいない。 だが、彼らと会話する手段は幾らでも知っている。色々な手段は経験済みだからだ。『……』 リーダーの顔に持ってきたマスクを掛けてやり、それからマスク全体に酢を垂らしてやった。「ゲホッゲホッ」 酢特有の刺激臭にリーダーはむせ返っていた。顔を左右に振ってマスクを外そうとするが叶わない。『金は何処だ?』 ディミトリは再び質問した。器械的な声が部屋に流れる。「だから、ねぇって言ってるだろうっ!」 やはり、酢程度では駄目なようだ。次は酢酸を掛けてやった。 これは写真の現像などに使う皮膚などに付くと爛れてしまう程の酸性を持っている。当然刺激臭もキツイ。「ゲホッゲホッゲホッゲホッ」 リーダーの咳き込み具合は酷くなった。喉の奥から絞り出すような咳き込み方だ。 何も喋らないので今度はアンモニアの小瓶を鼻先に突きつけてやった。「むがぁっ!」 アンモニアは効いたようだ。仰け反るような仕草を見せたか思うと項垂れてしまった。 他の三人はリーダーの咳や声を聞くだけでビクリとしていた。時々、ぶん殴ることも忘れない。 いつ自分に拷問の番が回ってくるのかを分からせないようにする為だ。 そうやって恐怖心を植え付けるのが上手く尋問を行うコツだ。『金は何処だ?』 きっと、際限なく拷問されると観念したのだろう。「―― 本当に無いんです ――」 リーダーは目と鼻と口から色々なものを垂らしながら言ってきた。『十本有るのは知っている。 何処だ?』「あ、アレはもう渡した……」 リーダーは即答してきた。 此方は金が集結しているのを知っている。そう示唆したつもりだったが頭が回っていないようだ。 まだ、金が無いと言い張るつもりのようだった。『それは明日じゃなかったのか?』「えっ……」 ここでリーダーは襲撃者が金の行方のことを知っている事に気がついた。少しトロイようだ。「ちょっ
「要するに大串のフリをして、売人に金を渡せって事か?」「ああ」「結構な金額になるだろう」「ああ、金なら用意する……」「……」「二百万程度だ。 俺の小遣いでどうにでも出来る」 ディミトリは自分の境遇が馬鹿らしくなって来るのを感じていた。二百万程度と言い切る中学生がいるのに、こちらは小遣いをやりくりしながら凌いでいるのだ。「タダじゃやらないぞ?」「十万くらいならお前にやるよ」 ディミトリは目を剥いてしまった。どこの国でも金持ちのボンボンは価値観が違うものだ。 まるで違う世界に生きているようなのだ。 それでも、ディミトリは引き受けるつもりだ。(そうか…… その売人をどうにかすれば、二百万が手に入るのか……) ディミトリは密かな企みを思いついていたのだ。 薬には興味無いが、金には大いに関心がある。何故なら渡航費用の一部に出来る。「金の受け渡し場所はどこだ?」 大串は川沿いにある倉庫を言ってきた。使っていた会社が潰れて無人なのだそうだ。 ディミトリはスマートフォンで地図アプリを呼び出して場所の確認をしてみた。周りに人家は無く、中小の工場が多い場所だ。 きっと、夜間には無人になっている事だろう。「それで金の渡しはいつやるんだ?」「今夜だ」 随分といきなりの予定でディミトリは面食らってしまった。「それは駄目だ。 俺には用がある」「え?」「塾が有るんだからしょうがないだろ」 もちろん嘘だ。ディミトリは受け渡し場所の下見に行くつもりなのだ。 行き当りばったりで実行しても、上手くいかないのは知っているつもりだ。これまでにも散々痛い目に遭っている。「金額が大きいから引き出しに時間が掛かると言えば良いだろ?」「ああ、分かった……」 今度は武器も有るし下準備の時間も有る。上手く行きそうだった。 大串との会話を終えたディミトリは教室に戻ってきた。大串たちはディミトリが代役を引き受けたので安心したようだ。 何度も礼を言ってきた。(乱暴者を装ってもヤクザ相手はキツイって事か……) そんな事を考えながら教室に入っていく。するとクラスメートの田島人志が話しかけてきた。「よう、まだモデルガンの空き箱探してる?」「いや、飾りたかっただけだから足りているよ」「いつでも言ってくれ、新しい奴は取ってあるからさ」「ああ、分かったよ。 あり
「それでクスリの売上が無くなったから、地廻りのヤクザへの上納金が用意出来ないと激怒してるんだよ」 薬物の販売はどこの国の犯罪組織にとって主要な収入源だ。自分の縄張りで商売を許す代わりに、上納金を要求するのは当然であろう。 そして、彼らは上納金の滞納は決して許さないものだ。必ずケジメを要求される。最悪の場合は自分の命だ。 だから、売人は激怒しているのであろう。「お前さんの彼女なんだろ?」「ああ、だから何とかしてやりたいんだけど……」「けど?」「俺の兄貴が警官やってるんだよ」「だから、それがどうした?」「揉め事を起こすと兄貴に迷惑がかかっちまう……」「お兄ちゃんが好きなんだ?」「ちょ。 か、か、関係ねぇよ」 大串が顔を真っ赤にしてしどろもどろに成ってしまった。ディミトリはニヤニヤしている。「お前の子分にやらせれば良いじゃないか?」「コイツラは顔が知られているから使えない」 大串は彼女を迎えに行く時に、自分では無く子分に行かせたのだそうだ。 その時に、クスリ云々を聞いてきたのだそうだ。「いや、若森ならこの手の話に慣れているような気がしてな……」「何で、そう思うのよ…… 俺は品行方正な男子中学生だぜ?」 ディミトリはすっとぼけた事を言い出した。 元々、中身が三十五歳という事も有り、中学生とは話が合わないので関わらないようにしていたのだ。 だから、真面目な中学生のふりをしているのだった。「お前が家に来たことが有っただろ?」「ああ」 追跡装置の所在を確かめる為に、大串の家を利用させて貰ったのを思い出していた。 上半身に有るのか、下半身に有るのか分からなかったからだ。 軍に居た頃なら検査機器で直ぐに判明する。だが、今はそうではない。 ディミトリは知恵と工夫で事態を乗り切って来たのだ。「あの後に警察が家に来て、お前のことを根掘り葉掘り聞いていったぞ?」「へえ」「何やったんだよ」「お前には関係ない。 俺の事には構うなと言ったはずだが?」「品行方正とやらの中学生を、警察が調べるわけがあるかい」「……」 大串は屋上のフェンスまで行ってディミトリを手招きした。 ディミトリが大串が示す方向を見ると白い普通車が停まっている。中には二人組の男が座っていた。 ポケットからスマートフォンを取り出し、カメラ機能を使ってズームアッ
「まあ、似たようなモノらしい……」 ディミトリに現実を突き付けられた大串は俯いてしまった。彼にも思う所が有るのだろう。「そんな事をやってるとは知らなかったんだ……」 大串が言い訳を付け加えてきた。(まあ、普通に考えてパパ活やってますなんて彼氏に言う奴はいないだろうな) そんな事を考えながらディミトリは返事に困ってしまった。 売春をやめさせたいと言われても相談にはのれないからだ。(それに、自分の彼女が売春をやっていたなんて事は信じがたいもんだよな……) だが、ディミトリは自分が呼ばれた訳が分からなかった。 他人のカップルの痴話喧嘩なんぞに興味が無かったからだ。 そもそも大串にも興味が一片の欠片も無い。「で?」 早くも教室に戻りたくなってきたディミトリは話の続きを促した。「それで、新しく引っ掛けた相手がクスリの売人だったみたいなんだよ……」 日本の学生というのは向こう見ずな所が在るらしい。 初めて合う相手に何の準備もせずに会いに行って、そのまま殺されてしまうという事件が時々マスコミを賑わせたりしている。(まあ、学校も親も教えないからなあ) 日本の教育というのは道徳を教えるが危険を教えない。 だから、何が危険なのかを知らずに育ってしまうのであろう。(それしても何でケツ持ちも置かないで危ない商売するかなあ……) 外国の売春婦は個人で営業する事が無い。客はスケベでどうしようもないクズだと知っているからだ。 客との間に揉め事が起きた時には、解決するための手段を持ち合わせている物だ。 そうしないと簡単に殺されてしまう。 危ないことをしたがる変態も多いし、殺しそのものを楽しむ狂人も同じ数だけ居るのだ。 だから、地元のマフィアに用心棒代を支払って身を守る。 厳しい現実を生き抜いていく為の知恵である。「それで、クスリをかっぱらおうとして、ブツを駄目にしてしまったらしい」 きっと、相手の男が自分を大きく見せようとして見せびらかしたのであろう。 チンピラなどに良くいるタイプだ。 実力以上の器を示して自分の虚栄心を満足させるのだ。 そして、女の方はそれを見て邪な考えに至ったという感じであろうか。 ディミトリは話の続きを聞いてズッコケてしまった。「えーーーーっと……」 突っ込みどころが多すぎて迷ってしまったのだ。 薬を売り捌
自宅。 追跡装置取り出しの手術が終わって数日は普通どおりに過ごしていた。監視の目がどこに在るのか不明だからだ。 朝、学校に行って体力づくりをして飯を食って寝る。普通の中学生を演じているつもりだ。 追跡装置は腕時計風にしておいた。日中は身につけておいて、追跡装置の存在に気が付いてない振りを装う為だ。 ある日の朝。学校に行くと大串たちが集まって何やらひそひそ話をしている。 ディミトリが通りかかるとピタリと止まったので、きっと良からぬ相談でもしているのであろう。 ディミトリは目の端で見えていたが無視をしていた。 午前中の授業が終わり昼休みになると大串の子分のひとりがディミトリの所にやってきた。「ちょっと屋上まで付き合ってくれ」 彼は何やら思いつめた表情ながらも、ぶっきら棒にで言ってきた。どうやら彼は、ディミトリと会話するのが苦手なのだろう。 顔にそう書いてあるような態度だったのだ。(まったく、懲りない連中だ) 朝の大串たちの様子からして、また喧嘩を売りに来たのだとディミトリは解釈したのだ。 子分の後に続いて屋上に出る階段を上る。 こういった設備は施錠されているはずなのだが彼は屋上へと通じる扉を開けた。 鍵を持っているか、或いはこじ開けたのだろうと考えた。(まあ、人目を気にしているのはお互い様だけどな) 開け放たれたドアの外に大串は居た。 大串は屋上の真ん中で仁王立ちしていた。虚勢でも張っているのであろう。「で、なんの用だ?」 ディミトリは大串に尋ねながらも、周りに気を配っていた。注意を引き付けながら後ろから襲いかかるのは常套手段だ。 相手が厄介な奴の場合、ディミトリならそうするからだ。 子分の一人は、階段の入り口を見張るように残っている。大串の側には一人しかいなかった。「お前に頼みがあるんだ」 だが、大串の口から出てきたのは意外な一言だった。「え?」 大串たちはディミトリに喧嘩では無く、相談があって呼び出したようだった。 頭の中でどうやって迎え撃つか、シミュレートしていたディミトリは拍子抜けしてしまった。「実は俺のツレが揉め事に巻き込まれてるらしいんだよ……」「誰?」「いつだったか本町のカラオケ屋ですれ違ったじゃないか」 ディミトリは追跡装置の確認の為に行ったカラオケ屋を思い出した。その時に大串が誰かと一緒だ
前回、気を失ったのは強烈な頭痛の時だ。痛みが限界を超えると気を失ってしまうようなのだ。 距離が離れているとでも言い訳しておけば良いだろう。(クラックコアとやらと関係が有るんだろうな) そう言えば前回の検診の時に、頭痛の事をやたらと聞きたがっているのを思い出した。随分と不審に思ったものだ。 今、思えば関係者であるのだから当然だったのだろう。 脳に色々と小細工するのは、人類にとってはまだ手に余るに違いない。鏑木医師が死んだのは色々と残念だった。(この失神する問題は早めに対処しておかないと、その内拙い事になるな……) 原因と対策がどうしても必要なのだ。ディミトリは違う病院へ変えようかと考え始めた。 それと同時に帰宅してから、痛みに耐える訓練方法を探そうと決めた。(後は追跡装置をどう使って一泡吹かせてやるかだな) アルミホイルに包まれた追跡装置を手に持ちながら思った。 腕から取り出した追跡装置は壊さないでおく事にしている。こちらが追跡装置の存在を知っている事を悟られない為だ。 それは、万が一の時に囮に使えると思っているからだ。「まあ、問題のひとつは解決できたかな……」 ディミトリは自転車に跨って家路についた。 翌日から痛みに対する訓練もメニューに加えた。しかし、思いの外に手術跡の痛みが酷かったが我慢していた。 医学生と言っても、まだ素人に怪我生えた程度だ。病院で行うのとは訳が違う。熱が出なかっただけでも幸運であろう。 ネットで検索した訓練メニューを試してみたが、結果は期待通りには中々いかなかった。「ネットだと痛みは無視できるようになると書いてあったけど……」 痛みは防御のメカニズムとして機能している。所謂、生存本能の事だ。痛みを伝えることで、生存が脅かされていると知らせる為にある信号なのだ。 つまり、痛みの伝達を阻害することが出来れば、痛みを無視出来るようになる……はずだ。 ディミトリは痛みに注意が向かないよう、気を紛らわせる事が出来る訓練を模索していた。「痛いもんは痛い……」 痛みは動揺や不安や絶望といった感情を呼び起こしてしまう。それを正反対の感情、つまりユーモアで置き換えてしまう方法がある。 アメリカの学者が行ったひとつの実験がある。痛みを耐える実験を行ったのだ。一つのグループにはコメディを見せながら実験を行い、もう
アオイの部屋。 ディミトリはボンヤリという感じで目を覚ました。 朧気な意識の中で見たのは、無機質な白い天井が有るだけだった。(知らない天井だ……) ディミトリの部屋にはアイドルのポスターが張ってある。それが此処には無い。 一瞬、病院かなと考えてみたが違う部屋である事を思い出した。(しまったっ!) ディミトリは息を吐き出すかのように起き出した。あまりの激痛に失神したようだ。 時間にして三十分程度であろうか。自分では平気なつもりだったが、新しい身体は慣れていなかったようだ。(まさか、気を失っていたとは……) 彼はすぐに自分の身体を調べた。左腕の手術跡には包帯が綺麗に巻かれている。 身体から取り出したと思われるものは、アルミホイルに包まれて机の上に置かれていた。 その横には自分の銃が置かれていた。 手にとって見ると弾倉は差し込まれたままだし、薬室には銃弾が装填されたままだった。(使い方を知らなかったとかかな?) 何より目出し帽が取られていて額にタオルが当てられていた事だ。 ディミトリの顔がアオイにバレてしまったようだ。適当な時期まで秘密にして置きたかったがしょうがない。「?」 ディミトリが訳が分からず戸惑っていると、アオイが部屋に入ってきた。 直ぐにディミトリが目を覚ましたことに気がついたようだ。「何故、銃を取り上げなかった?」「……」 彼女は壁に寄りかかったまま黙っている。 自分を脅していた相手が、少年だと分かったので恐怖心が無くなったのであろう。「手術なら終わったわ…… 上着を着たら出ていって頂戴ね……」「……」 彼女はそれだけを言うとディミトリを睨みつけた。「あの…… ありがとう……」「……」 ディミトリは礼を言ってペコリと頭を下げた。彼女はニコリともせず腕を組んだままだった。 銃で脅してきた相手が子供だとは思っていなかったのであろう。 ディミトリは踵を返して部屋から出ていったのだった。彼が持ち込んだ物はバッグの中に詰め込まれてある。 乗ってきた自転車の所まで来て、改めて痛みが残る左腕の包帯を眺めた。丁寧に巻いてある。(轢き逃げ犯とは思えないな…… 今後の事を考えたら俺の口封じをした方が良いだろうに……) どうやら彼女はディミトリのように悪知恵は回らないようだ。(自分だったら銃を奪って、最低でも
「準備が出来たよ」「じゃあ、上着を脱いで背中を向けてちょうだい……」 ディミトリが上着を脱ぐとアオイが息を飲むのが分かった。背中には手術の跡が縦横無尽に走っているからだ。 すべて交通事故の跡なのだが彼女には分からない。それは彼女が入った時には、ディミトリが退院した後だったのだ。「……」 銃を手に持った男が入ってきて、手術しろと言われたら訳アリの男だと分かったのだろう。 手術跡の事は何も聞いてこなかった。「そんなに深くには埋まってないはずだ……」「……」「指で触ると分かるぐらいだからね」「ええ、有るわね……」 アオイは腕を指で押しながら答えた。「皮膚の下、五ミリ程の所に筋肉に載せるような感じで埋まってると思う」「麻酔無しだから相当痛いよ?」「ああ、ある程度は覚悟している……」 ディミトリは自宅から持ってきたナイフを渡した。入念に砥石で研いでおいた奴だ。 手術用のとは比べて切れ味は劣ると思うが、普通の家にある包丁よりはマシなはずだ。「これがバレたら医師免許が取れなくなるわ……」「バレなきゃ良いのさ……」 アオイは少し深呼吸をして、ディミトリの腕にナイフを充てがい力を込めた。 ディミトリの上腕に何か冷たい感覚が走り抜けた。 ホンの数秒遅れで激痛が腕を駆け上がってくる。「そうなったら恨むわよ……」「大丈夫。 人に恨まれるのは生まれた時から慣れている……」 そう訳の分からない事をいった。「……」「グッ……」 アオイの荒い息使いが聞こえてくる。彼女も手術には慣れていないようだ。「麻酔も無しで……」 ブツブツ言いながら手術を続けている。 どんなものかは不明だが、簡易型の超音波検査機にかかるぐらいだ。金属片で有ることは間違いない。(そう言えば、犬の首に埋め込むタイプの盗聴器があると、ロシアの連中に聞いた事があるな……) 体液に含まれる塩を分解して発電するタイプで微弱な電波なら出せるらしい。 それを近くで受信して増幅してから送り届けてくれるすぐれものだ。 諜報機関の技術開発は凄まじい勢いで進化している。信じられないものが盗聴器だったりするのだ。(犬に可能なら人間でも可能か) 自分は犬と同じ扱いなのかと思うと笑いが出てきてしまった。 アオイは腕を切られようとしてるのに、クスクス笑いをするディミトリを不思議そうに
アオイの部屋。 アオイが帰宅して部屋の明かりを点けると、部屋の真ん中にマスクを被った男が居た。「やあっ!」「誰?」「しぃーーーーっ……」 マスクの男はディミトリだ。 彼は静かにしろというように口元に指を当てながら、銃をベッドの方に向けて引き金を引いた。パスッ!「ひぃっ」 軽い音を立てて葵のベッドに有った枕が跳ね上がった。 後、何発撃てるか分からないが減音器は役に立っているようだ。「おもちゃじゃないよ……」 そう言って銃をアオイに向けた。「お金はあんまり持ってないです……」 銃を向けられた葵は怯えている。実社会に置いて実銃を向けられた経験を持つ者は多くないはずだ。 アオイも無機質な銃口を向けられてパニックに成ってしまっている。「まあ、座ろうよ。 君をどうこうしたい訳じゃないんだ……」「……」 ディミトリは部屋の中央にあるテーブルの前に座りながら手招きした。 アオイは大人しくディミトリの前に座った。「あの病院関係者の駐車場で車を見つけてさ……」「……」「お姉さんは医療関係の人何でしょ?」「……」 アオイはコクンという感じで頷いた。「何やってる人なの?」「医学部に在学中の医者の卵です……」 医学生と睨んだ通りだった。次週から始まるインターン研修の為に病院に来ていたのだそうだ。 女は兵部アオイと名乗った。推測した通りだ。ディミトリの銃を恐ろしげにチラチラ見ている。「この写真を見てくれ……」 ディミトリは追跡装置が写っている画像のプリントを見せた。簡易超音波検査機で自分の腕をスキャンした画像だ。 モノクロの画像だが何やら四角いものが写っているのは分かる。「?」「ここに写っている四角い奴を取り出して欲しいんだ」「なんですかコレは?」「腕の中に埋め込まれている」「そういう事でしたら病院に行ってください……」 取り出すということは手術が必要だと理解できたようだ。 まだ、経験が浅いアオイは当然断ってきた。 切除手術など家で気軽に出来るものでは無い。 手術ということは身体にメスを入れる事だ。剥き出しの患部では病原菌に感染しやすくなってしまう。 一般家庭で無菌状態など作り出せないからだ。「それが出来ればそうしてるさ」 ディミトリは説得を続けた。自分では手術が出来ないので仕方がなかった。「私には無理で
手袋をした手でドアをそっと開け、素早く室内に潜り込んだ。 人目に付くのを避ける為に扉は極力静かに閉める。開閉の音や振動は案外響くものだ。 もちろん、目は室内を睨んだままだ。(どうも~お邪魔しま~す) ドアの前でしゃがんで室内の様子を伺った。もし、誰かが居るようならすぐさま脱出する為である。 身体を動かさずに首だけをゆっくりと動かし、人の気配を探っていたディミトリは立ち上がった。(誰も居ないんですよね~) おもむろに室内に足を踏み入れる。 空き巣狙いであれば、室内の物色にかかるところだが今回は違う。 部屋の主に用事がある。なので、部屋の中を調べていく事にする。(さあ、どういう人物が住んでいるのかな?) 誰も居ないことは確認済みだが、静かに部屋の中を移動していく。 ベッドに机にちゃぶ台・タンスと質素な暮らし向きらしかった。余計な装飾品が無い。 トイレや台所も清潔に保たれているようである。(ええ、真面目な人なの?) 室内の本棚には医療関係の本が多かった。それも家庭用ではなく医者の使う専門書の類だ。 中には外国語で書かれた背表紙も見受けられる。(睨んだ通りに医者の卵という事か……) 次にタンスの引き出しを下から開けていく。上から開けると上段の引き出しが邪魔になるからだ。 因みにコレは窃盗犯が行うやり方だ。短時間で家探しが出来るのだ。 ベテランになると五分もあれば一部屋分の家探しが完了するらしい。(むむむっ! コレは……) とある引き出しを開けた時にディミトリの手が止まった。 そして、コレまで見せたことが無い様な険しい顔付きになっていった。「うーむ……」 その引き出しには色とりどりの下着が詰め込まれていたのだ。恐らくアオイのモノであろう。 何となく良い香りがするような気がする。(ををを…… 眼福眼福) 下着入れを開けてしまったディミトリは何故か喜んでしまっている。 一枚取り出して目の前に広げてみたりしていた。しばらくニヤニヤと眺めていたがハッと気がついたことが有るようだ。(いやいやいやいや…… 目的が違うし……) そんな場合では無いと、被りたい衝動を抑え込んで引き出しを元に戻した。 洋の東西を問わず年齢がいくつであろうと、男というのはしょうもない生き物なのだ。(ふん、男関係するものは何も無しか……) ディ